羽生くんにぴょん落ちした話

  忘れもしない2月17日。

 普段どおりツイッターをして、何の気なしにトレンドをみた。そこにあったのは、藤井と羽生の二つの名前。どうやら将棋の羽生さんに藤井四段(当時)が打ち勝ち、羽生結弦くんがフィギュアスケート男子で二連覇を成し遂げたらしかった。

 へー、羽生くん勝ったのか、すごいなー。程度の感想を抱いた私は、軽い気持ちでNHKツイッターに上げていた動画を再生した。ネットで大騒ぎされている羽生選手がちょっと気になるな、程度の気持ちだった。見たのはあの復活のSP、バラードNo.1だった。あまりの美しさに驚いて、FSも見た。こちらも素晴らしかった。気がついたら、バラードNo.1を繰り返し、繰り返し見ていた。

 音楽に合わせて踊るのではなく、音楽をそのままスケートの形に起こしたような動き、山場でぴったりと誂えられたかのように飛ぶジャンプ、音楽の転換部で華麗に回るスピン。くるくると回るターン(後でツイズルというと知った)の一つ一つでさえも音の展開に沿っている。手足が長くて、振り付けが美しく優雅に見える。こんな美しかったのかフィギュアスケートって。衝撃以外の何物でもなかった。

 

 恐る恐るツイッターを検索した。フィギュアスケートには過激なファンがいるのはソチやバンクーバーでなんとなく知っていたから、その人達がまだいるんじゃないかと思って怖かったのだ。予想以上にひどい人たちがいたけれど、一方で競技に対する深い知識を持って語っている人たちもたくさんいた。

  そういう人たちのツイッターを見ながら、いろいろな人の競技の映像を見た。女子シングルのSPとFSもすごく面白かったし、エキシビジョンも最高に楽しかった。羽生くんの過去の演技をまとめてくれた人がいたので、彼の過去の映像にも手を出した。2016年のボストンエキシビジョンがとても美しくて、そしてとても悲しくて、フィギュアを見て初めて泣いてしまった。

 気がついたら毎日のように羽生選手や他の選手の映像を見ていて、私はすっかりハマってしまったことに気がついたのだった……。

 

 そんなわけで羽生くんにぴょん落ち*1してすでに半年近く経ってしまったのだけども、いやあ時が経つの、早いね!!!

 スケートファンにとっての新年は7月1日らしいということを知ったのも、平昌五輪以降のこと。フィギュアスケートの新シーズンが始まるのが7月1日だからなのだとか。というわけで、新年から結構経っちゃいましたけど、ハマったばかりの今の気持ちを書き残しておこうと思う。

 

 羽生くんにはまって一番驚いたのは、フィギュアスケートの競技的な面白さ。フィギュアはシンクロや体操競技と似ていて、ルールを知らなくても見ているだけで十分楽しい。でも、羽生くんがどうしてこんなに美しいのかを知りたかったし、何が勝敗を決めたのかがすごく気になった。得点が出るってことはルールが有るってことだし。そこで、少しずつ技術的なことや採点ルールを調べ始めた。

 実はソチやバンクーバーのときも少しフィギュアに興味を持ったのだけど、あの頃はネットやツイッターを軽く検索すると、特定の選手への誹謗中傷を言う人ばかりにぶつかった。ちらっとそれを見ただけでげんなりしてしまい、当時はそこで諦めてしまった。

 しかし、前回の五輪の時と違って運がいいことに、今回の五輪では、技術をわかりやすく解説してくれる(そしてどの選手の悪口も言わない)人たちのツイッターアカウントやHPにたどり着くことができた。

 特定の選手に過剰に肩入れし、他の選手を批判する人はあまり見ないように心がけた。バイアスがかかっている可能性が高いし、私みたいな初心者にはどこにバイアスがかかっているのかわからないからだ。バイアスがかかるのが悪いってわけじゃない。人間誰しもバイアスがかかっているものだし。ただ、はじめに接する情報はなるべくフラットな方が良いと思ったので。

 いろんな選手を見ていていろんな選手の良さについて語れたり、フィギュアスケート経験者だったり、技術委員だったり詳しい人のツイートやブログを読み、技術解説本を読んだり、ISUの採点ルールを見ながらいろいろ技術的なことを少しずつ勉強した。

 フィギュアは”円を描く”スポーツだということ。ジャンプだけじゃなくて、ステップ(片足だけで方向転換したり、両足で足の組み替えなどの動き)やスピンも重要だということ。ジャンプは遠心力を利用し、角運動量保存を利用して跳び上がる時はゆっくりと、空中で高速回転し、できるだけスピードを殺さず着氷すること…などなど。ジャンプに関しては慣性モーメントや角運動量保存則など、科学的な話も出てきて色々面白かった。ISUの副会長は数学者で、採点システムには彼の知見も生かされてるというのも羽生くんのファンになってから初めて知った。

 

 特に印象に残ったのは、フィギュアの採点ルールは意外と明確に定められていること、そしてそのルールのなかで選手たちは様々な戦略を練っているということだった。

 まだまだ芸術点では及ばないから、基礎点の高いジャンプを沢山後半に飛んで得点を狙う若手。四回転ジャンプを若手みたいに沢山飛べなくても、スケーティングスキルの高さで芸術点を狙ったり、事前に難しいステップを踏んでジャンプの質を上げることで得点を取るベテランもいる。

 体力を考慮してジャンプを前半に飛ぶか後半に飛ぶか、基礎点は高いが成功率の低いジャンプで逆転を狙うか、基礎点は低くても成功率が高いジャンプにするか、その選手の特性やその時のコンディションでいろいろな戦略があって、人それぞれやり方はちがうけれどどれも否定されるものではないところが、すごく面白いなと思った。

 高得点が狙えるコンビネーションジャンプに失敗しても、次のジャンプでコンビネーションをつけたり、ステップでレベルを取りそびれそうになって、とっさに振り付けを変更したり。GOEが加算されないとなったら振り付けをシーズン途中でもどんどん変えていったり。

 美の下にはめまぐるしい戦略が隠されていて、知識をつければつけるほどそれが見えるようになっていく。とりあえず難しいジャンプをちゃんと飛べば良いのかな?程度の知識しかなかった私にとっては、すごく新鮮だった。

  

 

 実際にファンになってみて驚いたことはもう一つある。それは羽生くんの注目され具合だ。

 平昌五輪の映像を見ると、ずっと羽生くんのそばにいて彼の映像を撮っているカメラクルーがいる。日本メディアのインタビューではどの選手にも羽生結弦をどう思いますか?何かエピソードはありますか?なんて、彼関連の質問がある。フィギュアスケートを取り上げた番組ではいかに羽生結弦がすごいか?と必ず言及するし、試しに買ってみた雑誌の表紙も羽生くん、内容も半分以上羽生くんだった。日本の選手層、かなり厚いのに。

 正直なところ、沢山羽生くんが見られて嬉しい気持ちもあった。でもその一方で、羽生くん、しんどそうだなとも思った。

 ひとたびリンクに行けば常に付いて回るカメラクルー。取材は常に記事にされる、時には自分の本意ではない変な書かれ方をしたりもする。

 自分の周りの人たちにも、メディアは不躾に自分のことばかり聞く。羽生くんの同門であるハビエル・フェルナンデス選手は、みんな僕にユヅのことばかり聞いてくるんだ、と冗談にしていた。私が羽生くんだったら迷惑かけて申し訳ないって思ってしまうかもしれない。

  ただ、羽生くんのすごいところは、その環境を甘んじて受け入れて、逆に利用しようとしているところだと思う。

 インタビューも嫌な顔せず引き受けて、自分のメンタルコントロールに利用したり、注目度を利用して震災復興を訴えたり。あれだけ過剰に取り上げられたら嫌な顔してインタビューを断ったりしてもいい。イチローとか本田圭佑みたいに冷たくあしらっても全然構わないと思う。

 そこをしないのは、フィギュアスケートは野球やサッカーとは違うマイナースポーツで、取り上げてもらえるだけありがたいという側面もあるから、というのもあるし、今の人気でメディア対応を悪化させても、過剰な取材攻勢が止むとは思えないというのもあると思うけど、逆境を自分にとってのチャンスに変える、羽生結弦的メンタリティの結果というのも大きいんだろうなあと思った。

 外観は華奢でフェミニンな男子って感じだけど、中身はギラギラしている。面白い人だなあと思う。

 ただ、ここでつらいのは、こういった変なメディアに付け狙われてしまうのは、羽生くんが人気者だからで、なんで人気者かって私みたいなファンが沢山いるからだ。ファンとしてはとてもつらい。めちゃくちゃジレンマだ。もちろん、ファンがたくさんいるからできるようになったこともあるんだろうけど、PV目的の変な記事が量産されているのを見ると申し訳なくなる。

 

 もう一つ。羽生くんのファンになって羽生くんから受けていた印象は結構変わった。思ったより好青年で、二十代とは思えないほどしっかりしていた。特に印象的だったのはインタビューでの受け答えだ。

 インタビューアーが求めている回答を察して見事に答えたり、ときにピシャリと釘をさしたり、本当に二十代前半?人生何回目?って思わせてくることが多い。

 例えば、平昌五輪後の記者会見でのとある質問への回答がすごかった。日本記者クラブにあったレポートから引用すると、こういう質問だ。

質問者:私がお聞きしたいのは、心の問題です。メダルを取った方、取れなかった方も含め、今回、日本選手がインタビューで周りの方々への感謝をいままで以上に口にされています。その一方で、世界では「勝てばいいんだ」とか「周囲への気配りではなく自分の競技に集中することが大切だという流れもあります。トップアスリートが世界を極めるためには、感謝とか思いやりというのは、どれぐらい大事なことだと思っていらっしゃいますか。 https://www.jnpc.or.jp/archive/conferences/35057/report

 この質問に、羽生くんは、まず日本の練習でのメンタルを鍛えるところはすごいと相手の意見を受け入れつつ、欧米にもマイケル・ジョーダンみたいに周りの感謝を忘れない選手がいる、そもそも僕は負けん気が強い選手、そういうのは人によるもの、と相手の思想にやんわり反論し、最後は一般的な感謝の気持ちを持つことは大事だという話から、自分がどういうところに感謝の気持ちを感じるかという話をしてしめていた。

    相手の意見を一旦受け入れつつ、日本と海外という不毛な比較はちゃんと否定して、最後は自分の、感謝を大事にするエピソードという、相手がおそらく求めているであろう回答で終わらせるというファインプレー、いっそ凄まじいものがある。

 そういうところをはじめに見たので、羽生くんはなんでもできるんだなあ、すごいなあと素直に思っていたのだけど、ファンを続けていくうちに、少し違う印象も受けるようになった。もしかして、この人、めちゃくちゃ真面目で不器用な人なのでは…?と。

 自分の周りにも真面目な人がいる。真面目な人って大体不器用だ。だからこそ真面目なんだろうけど。

 「いやそこまでしなくてもいいよ」「休みなよ」と言われても全力を尽くすし(その結果、素晴らしい結果を残すけども、ときに体を盛大に壊したりしてしまう)、自分の中にある信念はなかなか曲げない。まあちょっとくらい曲げた方がうまくいくよな、周りに好印象持ってもらえるよな、って時でも曲げない。

 それは全力を尽くさなかったり信念を曲げなかったりもできる、けどやらないって言うよりも、「全力を尽くさないこと」ができないし、「信念を曲げること」ができないという方が正しい。器用な人は使い分けられるけど、不器用な人はそれ一本槍で戦ってしまう。インタビューなんかを見ていると、羽生くんもそうなんじゃないかな?って思う。これはわたしの勝手な推測だけど。

 もちろん、それ故に五輪二連覇という偉業を成し遂げられたというのもあるんだろうけど、いちファンとしては不器用だなあ、という気持ちが先立ってしまう。意外と熱血漢で、意外と不器用な男、それが羽生結弦だなあというのがこの半年弱応援してて受けた印象のまとめです。

 

 最後に、個人的な羽生くんの好きな演技を羅列して終わりにさせてもらいたい。(唐突!)

 ツイッターで羽生くん推しになるきっかけの演技を4つ選ぶというタグがあったけど、自分が選ぶならばこれ。

(1)バラードNo.1 2018平昌五輪SP

www.youtube.com 羽生くんのバラ1はどれもいいけれど、やっぱりハマったきっかけの平昌五輪版が好き。山型の音型の起点で飛び、最高音でジャンプも最高位置につき、下降音型と供に降りてくる、あの鬼のようにメロディに合わせに行くジャンプが好きだ。

 羽生くんは曲とタイミングが合わない日はジャンプが上手く決まらないといっていたけど、あんな細い穴に糸を通すようなレベルでジャンプを曲に合わせているんだったら、そりゃ決まらない日は決まらないだろうなあと思わせてくるプログラム。ステップシークエンスの有り余る情熱性も好き。温度は高くないように見えて実は何よりも熱く燃え盛る青い炎のようなプログラムだと思う。

 

(2)天と地のレクイエム 2016世界選手権エキシビジョン

www.youtube.com 本人も言っていたけどあまり調子が良くなかった2016年のワールド(といっても銀メダルなのだからおそろしい)でのエキシビジョン。深い悲しみとその中にある希望を表したプログラム。ステップからホップジャンプ、スピンの解き方に至るまで、プログラムが一つの表現として結晶したかのような美しさ。羽生くんが着ている衣装はサンゴをイメージしたもので、この衣装を着て演じる彼は、海の底で眠る魂たちを一つ一つ空の彼方へと連れて行くようにも見える。

 

(3)notte stellata 2018平昌五輪 エキシビジョン

www.youtube.com ぴょん落ちした人間なので平昌五輪の映像が多くなることを許してほしい。

 羽生くんが 両腕を広げて滑ったら それはもう白鳥なんです。

 男性なのに、プリマが演じる白鳥のような衣装がピッタリと合うのがこのnotte stellata。タラソワコーチがぜひユヅルに、と持ってきてくれたことに、羽生くんのジェンダーレスなところは国際的なものなんだなあと思う。ロシア語実況解説で、私がユヅルにこれをあげたのよとドヤるタラソワ先生好きだなあ。

 一つ一つの手の動き、一つ一つのステップが鳥が羽ばたいているかのよう。雄大なディレイドアクセルが白鳥が湖面をふわりと飛ぶようで、スピンがまるで羽ばたいているかのようで、これもすごく好きなプログラム。

 

(4)Let's go crazy 2016GPF SP

www.youtube.com  あとやっぱりこれですね。髪型が爆イケだからというわけではなく(それも多分にあるけど)、このアップテンポなポップスにもばっちりリズムを合わせてくる羽生くんの音のとり方がたまらなく好きです。キャメルスピンがまるでミラーボールみたい!

 あと皆さんも同じこと仰ってますけど、このプロでの3Aは本当に最高。難しい入りからの軸が細くてまるで錐みたいなトリプルアクセル、そこから間髪入れずにハイキック!しびれざるを得ないですよこんなの!

 

 

 羽生くんの演技に関する記事を見たり、実況を聞いていてよく出てくるのは「effortless」という単語。無駄な力の入っていない、と言う通り、羽生くんはジャンプにしてもスピンにしても無駄がなくて、まるで物理エンジンで理想的なジャンプをシミュレーションさせた通りのようなジャンプだよなあと思う。難しいステップを踏んでいるときも、何事もなくふわふわすいすいと滑っているように見えて、氷から1mm足が浮いてるんじゃないの?と疑うレベル。

 そこのeffortlessさから、羽生くんの人間離れした美しさを感じる。羽生くんの演技からは人間の色気とか情動とかそういうものよりも、もっとなにか人ではないもの、神様や自然というものに近いものを受ける。演技を見るとやっぱり一人の青年なんだけど。だから、人間と人間ではないものの間と言うべきかも。

 「天と地のレクイエム」やFaoiでやった「春よ、来い」のような演技、あとは2017年世界選手権での「Hope & Legacy」もそうだと思う。人と人ではないものの狭間をたゆたうような演技。

 そういう意味では羽生くんのハマり役はやっぱり「SEIMEI」なんだろうな。人間と狐との間に生まれたとされる、安倍晴明というキャラクターが彼にはよく似合う。

 演技の参考にしたのが、狂言師である野村萬斎さんというのにも運命を感じる。野村萬斎さんが、シン・ゴジラゴジラのモーションを担当したとき、狂言は「この世ならざるもの」を演じてきたというふうに話していたと思うんだけど、そこが羽生くんのふわりと浮いたような感じに合ったのかもしれない。

 

 長々と書いたけども、羽生くんにハマっていろんなフィギュアの競技や選手を知ることができたし、実際にアイスショーに足を運んだり、色々と楽しいことが増えて毎日の輝きがさらに増している。新シーズンも楽しみ!

*1:平昌五輪でフィギュアにハマること。狭義には平昌五輪で羽生結弦にハマることを指す